(5)芸術家が持つイマジネーションの豊かさ

インドでは、お祭りが頻繁に行われる。多神教なので、それぞれの神様にちなんだ日に、神に音楽、踊りや食べ物を捧げる。日本でもインド人は地域の人々が集まり、神に音楽や食べ物を捧げ、お祈りをしている。そのようなお祭り、つまり、神に祈りを捧げる日に、パンディジはシタール演奏を依頼されることがしばしばだった。2001年にもパンディジは自宅近くの集会所で開かれたお祭りでシタールを演奏したことがあった。シタール演奏後、私に「演奏はどうだった」と毎回、必ず感想を尋ねた。私はいつもできる限り自分が感じたことを正直に話した。この近所の集会場で開かれたお祭りのシタール演奏について私に尋ねたので、それは、3部構成になっていて、その内容はまず、地上の人間が楽しそうに暮らしている。次は天上界と地上の中間の世界。そして、最後は神々の世界を演奏したように感じたと話したら、「そうだ。その通りだ」とパンディジは答えた。

その演奏は1時間ぴったりで終わった。途中で休憩もなく、曲のムードが途中で2回変った。しかも、パンディジは時計を見ていたわけではないのに、20分ごとに変り、全体で3部構成になっていた。始めの曲は私達が地球上で生きて、幸せに満ちて暮らしている。喜びに溢れ生き生きとしている幸福感や躍動感が伝わってきた。次にムードが変り、厳かな感じで、でもどこにも足がついていないで漂っている感じの曲に変った。チベット仏教でいうバルド(中有)の世界。地上と天上界の間、死者が天上に行くまでいる世界。このムードがやはり20分続いた頃、また、ムードが変った。さらに荘厳、厳粛、幸福、平安の世界で、神々が住む世界のように感じた。その厳かさは言葉では言い表せない。音楽のみが伝えることができると思った。この3つの世界を感受し、演奏する。あまりの感動でなんとも言えない世界にパンディジは私達を引き込んだ。私は、その時までは、音楽療法でシタール演奏を聴いていが、コンサートのようなシタール演奏を聴くのは始めてだった。あまりのショックで言葉もでなかった。私は言いたかった。「見たことがあるのですか。行ったことがあるのですか。天上界やその中間の世界に」行ったこともない世界をまるで見てきたように演奏する、芸術家が持つイマジネーションの豊かさに圧倒された。

ミケランジェロのピエタ像

その時まで、私はアーティスティックなことを仕事にしたいなどという思いを抱いていたのだが、パンディジの演奏の前に完敗したように感じた。以前、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でミケランジェロのピエタ像を見た時、涙がこみ上げてきたことがあった。きっと多くの人があそこで涙したことだろう。心無い人に指を折られ、近年は囲いの中に、ピエタは納まっている。この時、遥か遠いローマでピエタ像の指を折った人の気持が急に理解できたように感じた。ピエタ像の前に自分のわずかばかりしかない才能をまざまざと感じさせられた、天性の才能に対して、こみ上げる想い。芸術家の才能にたいしてのジェラシーから、そのようなことをしたのかもしれないと思った。パンディジは、以前、どのくらいの人からこのような感情を向けられたのだろう   か。普通の人が経験しないパンディジの世界を垣間見たように感じた。

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