ブログ(聖なる微笑)

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パンディジのシタールによる音楽療法を受け続けて10年以上が経った。音楽療法は人それぞれ、どのように感じたのか、どのような体験をしたのか、まるで違っていて、とても一言では言えるものではない。私の場合は、どんどん自分と思っていたものが削ぎ落とされ、何にもなくなるかもしれないと思った時があった。すると、体の中から湧き出しくるエネルギーを感じた。オリジナルな自分が出てきた。「自分は強い!! こんなに私は強かったのだ」。そのような自分を大好きになった。

私は若い時に母を亡くした。この悲しみを始めての音楽療法で再体験したが、その後、もう二度とこの悲しみの体験を音楽療法ですることはなかった。音楽療法は、ショックがあった時点にその人をもう一度戻し、必要なプログラムを組み、その時点から再構築していくものであった。

ある日、プージャさんの友人のお子さんが音楽療法を受けたことがあった。人懐っこい性格で、明るく元気な大学生だった。その方の始めての音楽療法では、祖母が亡くなった時のことを思い出し、泣いた。私は、こんなに若く、楽しそうに生きている方でも悲しみを体験していて、悲しみが体の中に残っているのに驚いた。

その頃の私は、もっと若い時に受けていたら、人生が違ったものになっていたのではないかと思うようになっていった。産まれたその瞬間から、人生が楽しいものだと思えたらどんなにいいだろうか。その思いから、妊娠中の母や幼い子供の音楽療法に力を注ぐようになった。

 

音楽療法についての詳細は以下のURLからご覧いただけます。http://chandrakant.jp/?page_id=22

パンディジはいつも人を笑わせていて、彼の周りはいつも楽しい雰囲気が漂っていた。私が、会社の研修の一環で笑顔訓練があったことをパンディジやダルシャナムのメンバーに話したことがあった。その訓練は、口に割り箸を水平にはさむ。そして、「ウイスキー」と声を出して言ってみる。始めのうちは、割り箸より口角が下がってしまうので、口角を上がるまで何度も練習をする。口角を上げることによって笑っている顔が強調される。口角が下がっていたら笑顔になっていないのである。そこで、メンバー全員で割り箸を口に挟み、「ウイスキー」と言って笑顔の練習をした。

 

その時は、パンディジは「フムフム」と言った感じで笑いながら見ていた。普通の人ならこれで終わりである。ところがパンディジは次の日、私が彼の家に行くと、私の顔を見るやいなや、前日の私の笑顔訓練の顔を真似した。あまりのおもしろさに笑い出してしまった。なんと、これが、毎日続いた。普通の人はだんだん面白くなくなり、あー、またやっている、もう、面白くないからやめたら、と思うのだが、パンディジのこの作り笑顔は、面白さをぐんぐん増し、だんだんと芸のようにまでなっていった。

 

5月のゴールデンウィークにこの笑顔訓練を受けたのだから、7月にオーストラリアへ旅発つまで、ほとんど毎日2,3ヶ月は私が家へ行くと笑顔を作って私を笑わせた。ダルシャナムの代表のプージャさんと仕事の打ち合わせをしている時にも、同じように笑顔を作るので、私は笑いが止められず、仕事の打ち合わせができなくってしまうことがよくあった。もうさすがに今日はやらないだろうと思った瞬間、まるで私の心がわかったかのように、その瞬間に笑顔を真似するのだった。

 

オーストラリアへ旅発つ前の日に、顔面芸を見たのが今生の別れとなってしまった。私に強烈な残像を残して、旅発って逝った。そういえば、私とパンディジとプージャさんと始めて3人で、パンディジの家で食事をした時も、私を思いっきり笑わせたので、お腹が痛くなってしまった。普通の「あはは」などという面白さではなく、お腹を抱えて笑って、しまいにはお腹が痛くなってしまうのである。パンディジとの出会った日も、思いっきり笑い、最後となってしまった日も、また、笑い、これほどまでに、私を笑わせてくれた人は外にいない。

 

私が音楽療法の企画を始めた頃、どのように企画をしたら良いのか、パンディジに一から詳しく聞いていた。ある時、ある方が、音楽療法を企画してくださったことがあった。それまで、パンディジの自宅で音楽療法を行ってきたのだが、始めて自宅以外の場所で音楽療法を行うことになった。

その時、パンディジが言ったことは、「音楽療法が始まる1時間前にその場所に着いていたい。途中の車が混んだり、何か事故で時間通りに着けないと、あせってしまうので、早く着いていたい。」

また、ダルシャナム代表でパンディジの奥様のプージャさんは、「タクシーに乗って、ドライバーの人が道を知らない場合も過去にあったので、必ず行く前に道を調べてから行くことにしている」と言うので、行く前に地図を調べ、自分で道順を書いた地図を作って持って行った。シタールを持って移動するのに、タクシーを利用することが多かった。これ以降、サラデシュムク家の人と行動する時は、必ず地図を作ることになった。後には、グーグルの地図より、私が書いた地図のほうがわかりやすいとまで言われ、地図制作は私の担当になってしまった。インド人はよく時間にルーズと言われているが、サラデシュムク家の人はそのようなことはなかった。

そして、行く先で外食をする場合は、近くのレストランを予め調べた。行った先でレストランを歩いて、探したりすることはしないようにとも言われ、地図を作り、レストランも調べてから出かけた。タクシーに乗っても、途中で迷うようなこともなく、また、食事をするため、レストランを探して、歩き回ることも一切なかった。

また、用事のついでに、どこかに行って、別の用事を済ませてはいけないとも言われた。一つのことに集中するためである。色々な用事を一度に済まそうとすると、時間が間に合わなくなって、あせったり、また、ミスをしたりすることがあるので、そのようなことがないようにするためである。

これらは全て、パンディジのお父様のサラデシュムク・マハラジから教えられたものであった。マハラジは大変優雅な方だったと言われている。優雅に見えるその裏には、周到な準備があってこそ、優雅に行動ができるのではないだろうか。

 

 

インドでは、お祭りが頻繁に行われる。多神教なので、それぞれの神様にちなんだ日に、神に音楽、踊りや食べ物を捧げる。日本でもインド人は地域の人々が集まり、神に音楽や食べ物を捧げ、お祈りをしている。そのようなお祭り、つまり、神に祈りを捧げる日に、パンディジはシタール演奏を依頼されることがしばしばだった。2001年にもパンディジは自宅近くの集会所で開かれたお祭りでシタールを演奏したことがあった。シタール演奏後、私に「演奏はどうだった」と毎回、必ず感想を尋ねた。私はいつもできる限り自分が感じたことを正直に話した。この近所の集会場で開かれたお祭りのシタール演奏について私に尋ねたので、それは、3部構成になっていて、その内容はまず、地上の人間が楽しそうに暮らしている。次は天上界と地上の中間の世界。そして、最後は神々の世界を演奏したように感じたと話したら、「そうだ。その通りだ」とパンディジは答えた。

その演奏は1時間ぴったりで終わった。途中で休憩もなく、曲のムードが途中で2回変った。しかも、パンディジは時計を見ていたわけではないのに、20分ごとに変り、全体で3部構成になっていた。始めの曲は私達が地球上で生きて、幸せに満ちて暮らしている。喜びに溢れ生き生きとしている幸福感や躍動感が伝わってきた。次にムードが変り、厳かな感じで、でもどこにも足がついていないで漂っている感じの曲に変った。チベット仏教でいうバルド(中有)の世界。地上と天上界の間、死者が天上に行くまでいる世界。このムードがやはり20分続いた頃、また、ムードが変った。さらに荘厳、厳粛、幸福、平安の世界で、神々が住む世界のように感じた。その厳かさは言葉では言い表せない。音楽のみが伝えることができると思った。この3つの世界を感受し、演奏する。あまりの感動でなんとも言えない世界にパンディジは私達を引き込んだ。私は、その時までは、音楽療法でシタール演奏を聴いていが、コンサートのようなシタール演奏を聴くのは始めてだった。あまりのショックで言葉もでなかった。私は言いたかった。「見たことがあるのですか。行ったことがあるのですか。天上界やその中間の世界に」行ったこともない世界をまるで見てきたように演奏する、芸術家が持つイマジネーションの豊かさに圧倒された。

ミケランジェロのピエタ像

その時まで、私はアーティスティックなことを仕事にしたいなどという思いを抱いていたのだが、パンディジの演奏の前に完敗したように感じた。以前、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でミケランジェロのピエタ像を見た時、涙がこみ上げてきたことがあった。きっと多くの人があそこで涙したことだろう。心無い人に指を折られ、近年は囲いの中に、ピエタは納まっている。この時、遥か遠いローマでピエタ像の指を折った人の気持が急に理解できたように感じた。ピエタ像の前に自分のわずかばかりしかない才能をまざまざと感じさせられた、天性の才能に対して、こみ上げる想い。芸術家の才能にたいしてのジェラシーから、そのようなことをしたのかもしれないと思った。パンディジは、以前、どのくらいの人からこのような感情を向けられたのだろう   か。普通の人が経験しないパンディジの世界を垣間見たように感じた。

山手線「五反田」駅から徒歩7・8分という都心にありながら、閑静な住宅街に位置し、年輪を感じさせる桜の木や、下草の茂る風情がある庭は、そのコンサート会場となったヨガスタジオを訪れた人に都心にいることを忘れさせてしまう。古い日本家屋を現代風に改築している和風モダンといった趣をかもし出していた。 2008年10月26日にシタールとサロードのコラボレーションのコンサートが行われ、50名が入れるくらいのスペースに70名近い聴衆がつめかけた。これまでパンディジの様々な大きいホールでの演奏も素晴らしかったが、小さな会場でのマイクを通さないシタールの音色の美しさを十分に味わえるコンサートとなった。弦が共鳴する音がまるでシャワーのように降り注ぎ、音が洪水のようにあふれ出す。そして、様々な音のゆらぎをリラックスした空間で楽しめる絶好の場所だった。

まず始めはサロードとタブラの演奏から始まった。関口祐一氏はサロードの巨匠ウスタッド・アリアクバル・カーンに師事し、日本では数少ないサロード奏者だ。観客の中にはライブで聴くのは始めてという方もいて、皆興味深げに聴き入っていた。

次はシタールとタブラ、その次はシタールとサロード、タブラのコラボレーションという3部構成だった。観客の最前列の方は、タブラやシタールの振動が直に伝わる距離で演奏を聴くことができた。夕方のラーガを奏で終わった頃には日も落ち、ライトアップされたステージでの演奏はクライマックスを向かえ、観客の皆さんも一緒にリズムを刻み、ステージと観客が一体と化した。これこそがライブの醍醐味ではないだろうか。

インド音楽は曲の戒律はあるものの、その戒律に則って即興で演奏されるがゆえに、音楽家の芸術性が問われる。パンディジは修行時代、シタールをパンディット、ラビ・シャンカールが不在の時は、妻のアンナプルナデビ夫人から学んでいた。インド音楽は楽譜がなく、まず師匠であるアンナプルナデビ夫人がシタールを演奏し、それを聴き取り、その通りに弟子は演奏する。パンディジはその通りに演奏することがなにより難しかった。彼はあらゆるにごった感情からすでに解放されていたので、天から伝わる音楽を感受し、修行時代でさえも即興を織り交ぜながら演奏することができた。彼の音楽とは、そのようなものであったので、コンサート後の感想でよく、幸せになったと多くの方がおっしゃった。コンサートでは、決まったフレーズを繰り返し演奏することがよくあるのだが、それもいつもどこか変えていて、シタールを弾く、「プレイ」。すなわち、音楽で「遊んでいる」かのように、自由自在に即興演奏をし、音楽を真から楽しんでいた。

  1. ☆ コンサートの感想 ☆

・ 「今回初めてインド伝統音楽を聴きまして、とても広大な宇宙観を感じさせて頂きました。素敵なコンサートでした。“ナマステ”どうもありがとうございました。」

  • 「生の波動を身近で、五感で感じました。深い響きをありがとうございました。」
  • 「すごいコラボレーションでした。私もまわりの方々も酔いしびれていました。」
  • 「気持ちのいい音楽です。良かったです。」
  • 「すばらしい!の一語。すばらしかった!」

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