Articles by Michiko

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私が音楽療法の企画を始めた頃、どのように企画をしたら良いのか、パンディジに一から詳しく聞いていた。ある時、ある方が、音楽療法を企画してくださったことがあった。それまで、パンディジの自宅で音楽療法を行ってきたのだが、始めて自宅以外の場所で音楽療法を行うことになった。

その時、パンディジが言ったことは、「音楽療法が始まる1時間前にその場所に着いていたい。途中の車が混んだり、何か事故で時間通りに着けないと、あせってしまうので、早く着いていたい。」

また、ダルシャナム代表でパンディジの奥様のプージャさんは、「タクシーに乗って、ドライバーの人が道を知らない場合も過去にあったので、必ず行く前に道を調べてから行くことにしている」と言うので、行く前に地図を調べ、自分で道順を書いた地図を作って持って行った。シタールを持って移動するのに、タクシーを利用することが多かった。これ以降、サラデシュムク家の人と行動する時は、必ず地図を作ることになった。後には、グーグルの地図より、私が書いた地図のほうがわかりやすいとまで言われ、地図制作は私の担当になってしまった。インド人はよく時間にルーズと言われているが、サラデシュムク家の人はそのようなことはなかった。

そして、行く先で外食をする場合は、近くのレストランを予め調べた。行った先でレストランを歩いて、探したりすることはしないようにとも言われ、地図を作り、レストランも調べてから出かけた。タクシーに乗っても、途中で迷うようなこともなく、また、食事をするため、レストランを探して、歩き回ることも一切なかった。

また、用事のついでに、どこかに行って、別の用事を済ませてはいけないとも言われた。一つのことに集中するためである。色々な用事を一度に済まそうとすると、時間が間に合わなくなって、あせったり、また、ミスをしたりすることがあるので、そのようなことがないようにするためである。

これらは全て、パンディジのお父様のサラデシュムク・マハラジから教えられたものであった。マハラジは大変優雅な方だったと言われている。優雅に見えるその裏には、周到な準備があってこそ、優雅に行動ができるのではないだろうか。

 

 

インドでは、お祭りが頻繁に行われる。多神教なので、それぞれの神様にちなんだ日に、神に音楽、踊りや食べ物を捧げる。日本でもインド人は地域の人々が集まり、神に音楽や食べ物を捧げ、お祈りをしている。そのようなお祭り、つまり、神に祈りを捧げる日に、パンディジはシタール演奏を依頼されることがしばしばだった。2001年にもパンディジは自宅近くの集会所で開かれたお祭りでシタールを演奏したことがあった。シタール演奏後、私に「演奏はどうだった」と毎回、必ず感想を尋ねた。私はいつもできる限り自分が感じたことを正直に話した。この近所の集会場で開かれたお祭りのシタール演奏について私に尋ねたので、それは、3部構成になっていて、その内容はまず、地上の人間が楽しそうに暮らしている。次は天上界と地上の中間の世界。そして、最後は神々の世界を演奏したように感じたと話したら、「そうだ。その通りだ」とパンディジは答えた。

その演奏は1時間ぴったりで終わった。途中で休憩もなく、曲のムードが途中で2回変った。しかも、パンディジは時計を見ていたわけではないのに、20分ごとに変り、全体で3部構成になっていた。始めの曲は私達が地球上で生きて、幸せに満ちて暮らしている。喜びに溢れ生き生きとしている幸福感や躍動感が伝わってきた。次にムードが変り、厳かな感じで、でもどこにも足がついていないで漂っている感じの曲に変った。チベット仏教でいうバルド(中有)の世界。地上と天上界の間、死者が天上に行くまでいる世界。このムードがやはり20分続いた頃、また、ムードが変った。さらに荘厳、厳粛、幸福、平安の世界で、神々が住む世界のように感じた。その厳かさは言葉では言い表せない。音楽のみが伝えることができると思った。この3つの世界を感受し、演奏する。あまりの感動でなんとも言えない世界にパンディジは私達を引き込んだ。私は、その時までは、音楽療法でシタール演奏を聴いていが、コンサートのようなシタール演奏を聴くのは始めてだった。あまりのショックで言葉もでなかった。私は言いたかった。「見たことがあるのですか。行ったことがあるのですか。天上界やその中間の世界に」行ったこともない世界をまるで見てきたように演奏する、芸術家が持つイマジネーションの豊かさに圧倒された。

ミケランジェロのピエタ像

その時まで、私はアーティスティックなことを仕事にしたいなどという思いを抱いていたのだが、パンディジの演奏の前に完敗したように感じた。以前、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でミケランジェロのピエタ像を見た時、涙がこみ上げてきたことがあった。きっと多くの人があそこで涙したことだろう。心無い人に指を折られ、近年は囲いの中に、ピエタは納まっている。この時、遥か遠いローマでピエタ像の指を折った人の気持が急に理解できたように感じた。ピエタ像の前に自分のわずかばかりしかない才能をまざまざと感じさせられた、天性の才能に対して、こみ上げる想い。芸術家の才能にたいしてのジェラシーから、そのようなことをしたのかもしれないと思った。パンディジは、以前、どのくらいの人からこのような感情を向けられたのだろう   か。普通の人が経験しないパンディジの世界を垣間見たように感じた。

山手線「五反田」駅から徒歩7・8分という都心にありながら、閑静な住宅街に位置し、年輪を感じさせる桜の木や、下草の茂る風情がある庭は、そのコンサート会場となったヨガスタジオを訪れた人に都心にいることを忘れさせてしまう。古い日本家屋を現代風に改築している和風モダンといった趣をかもし出していた。 2008年10月26日にシタールとサロードのコラボレーションのコンサートが行われ、50名が入れるくらいのスペースに70名近い聴衆がつめかけた。これまでパンディジの様々な大きいホールでの演奏も素晴らしかったが、小さな会場でのマイクを通さないシタールの音色の美しさを十分に味わえるコンサートとなった。弦が共鳴する音がまるでシャワーのように降り注ぎ、音が洪水のようにあふれ出す。そして、様々な音のゆらぎをリラックスした空間で楽しめる絶好の場所だった。

まず始めはサロードとタブラの演奏から始まった。関口祐一氏はサロードの巨匠ウスタッド・アリアクバル・カーンに師事し、日本では数少ないサロード奏者だ。観客の中にはライブで聴くのは始めてという方もいて、皆興味深げに聴き入っていた。

次はシタールとタブラ、その次はシタールとサロード、タブラのコラボレーションという3部構成だった。観客の最前列の方は、タブラやシタールの振動が直に伝わる距離で演奏を聴くことができた。夕方のラーガを奏で終わった頃には日も落ち、ライトアップされたステージでの演奏はクライマックスを向かえ、観客の皆さんも一緒にリズムを刻み、ステージと観客が一体と化した。これこそがライブの醍醐味ではないだろうか。

インド音楽は曲の戒律はあるものの、その戒律に則って即興で演奏されるがゆえに、音楽家の芸術性が問われる。パンディジは修行時代、シタールをパンディット、ラビ・シャンカールが不在の時は、妻のアンナプルナデビ夫人から学んでいた。インド音楽は楽譜がなく、まず師匠であるアンナプルナデビ夫人がシタールを演奏し、それを聴き取り、その通りに弟子は演奏する。パンディジはその通りに演奏することがなにより難しかった。彼はあらゆるにごった感情からすでに解放されていたので、天から伝わる音楽を感受し、修行時代でさえも即興を織り交ぜながら演奏することができた。彼の音楽とは、そのようなものであったので、コンサート後の感想でよく、幸せになったと多くの方がおっしゃった。コンサートでは、決まったフレーズを繰り返し演奏することがよくあるのだが、それもいつもどこか変えていて、シタールを弾く、「プレイ」。すなわち、音楽で「遊んでいる」かのように、自由自在に即興演奏をし、音楽を真から楽しんでいた。

  1. ☆ コンサートの感想 ☆

・ 「今回初めてインド伝統音楽を聴きまして、とても広大な宇宙観を感じさせて頂きました。素敵なコンサートでした。“ナマステ”どうもありがとうございました。」

  • 「生の波動を身近で、五感で感じました。深い響きをありがとうございました。」
  • 「すごいコラボレーションでした。私もまわりの方々も酔いしびれていました。」
  • 「気持ちのいい音楽です。良かったです。」
  • 「すばらしい!の一語。すばらしかった!」

美しい海岸線が広がるおぢか

「おぢかへ行く」と聞いて、始めはどこのことかわかりませんでした。どうやら九州の島であるらしいとわかってきました。おぢか、それは始めに音があり、その後、漢字を当てはめた万葉仮名に違いないという気がして、漢字を調べると小値賀とあります。その背景には深い歴史があるに違いないと思ったらもう胸はわくわくしてしまいました。そして、住所は北松浦郡五島列島ではありませんか。私の知り合いに松浦さんという方がいらっしゃいます。その方のご祖先は魏志倭人伝の末盧(まつら)国のまつらから取った名前だということで、今でも平戸松浦家はまつらと名のっていらっしゃるそうです。古代史ファンにはたまらない島に違いないはずです。3月20日から3月26日

 

 

320日 福岡 勝立寺にてシタールコンサート

一行はまず福岡に到着して、福岡勝立寺のお彼岸の法要の後、チャンドラカントさんのコンサートがありました。檀家の方が集まる中、シタール演奏が行われました。始めに Nat & Bhairav、 taal in Rupak teal。午後のラーガ2曲の特徴的なメロディーが融合されたラーガでした。リズムサイクルは3・2・2の7拍子。2曲目はKhamaji、 taal in teentaal。リズムは4×4の16拍子。始めの曲より明るく軽快な曲でした。こちらのご住職さんのご子息さんの厳しい修行があけたばかりで、その修行のお話や檀家の代表の方数名でお食事をいただきながらの集いを設けていただきました。

320日 「シタールの夕べ」福岡コンサート

その後、ホテルへ帰ってしばし、休憩したのち、コンサートが行われるアジア美術館へと向いました。この音楽祭はトータルヘルス実行委員会によるボランティアスタッフによって企画、運営され、収益金はチャンドラカントさんが理事を勤める財団、インドワゴリのバラティア・サンスクリティ・ダルシャン・トラストへ寄付されるチャリティーコンサートでした。1曲目はBhopali(Bhoop)Aleap、Rupak taal 。2曲目はKalawati 、 taal in teentaal。アンコールはBhajanの演奏でした。インド音楽は演奏者と観客が一体となって作っていくもので、観客の皆様が身を乗り出し、とても熱心に聴いてくださったので、とても盛り上がったコンサートとなりました。日本の芸能界で活躍なさっているミュージシャンを多く輩出してきた町、福岡。コンサート終了後も皆様からチャンドラカントさんは取り囲まれ、楽しい団欒のひと時でした。その中にはパンディット・ラビシャンカールのレコードをお持ちになった方もいらっしゃいました。その後、場所を変えて幹事のみなさまとご一緒に夕食をいただきました。おいしいお食事を整えてくださり、心温まる歓迎をしていただきました。こういう時間がとてもうれしいひと時でした。

 

             第7回長崎おぢか国際音楽祭

おぢか国際音楽祭の目的は演奏家を芸術の原点に立ち返られる豊かな自然において、真の音楽が生み出される場を創造し、芸術の発展に貢献するとともに、自然と共生する豊かで潤いのある社会環境の啓蒙・普及を目的とする。

次の日は佐世保まで移動し、そこから海路を通って、小値賀に着きました。次の日から私たち一行は公共の施設をお借りして自炊し、まるで合宿のような生活が始まりました。

 

322日唐見先公民館にて音楽療法

グループ音楽療法音楽療法後のG&A

唐見先公民館で前面海という絶好のロケーションの中で、グループ音楽療法が行われました。30名くらいの方が集まりました。仰向けに寝てシタールを30分くらいの間聴くというものです。終わった後、体の中にどのような反応がおこったのか、そして、それはどういうことなのか、参加者とチャンドラカントさんの質疑応答が交わされ、みなさん熱心に聞いていらっしゃいました。私はかねてより海に面した場所で音楽療法を受けてみたいと思っていましたので、参加者に混じって受けさせていただきました。とてもリラックスした状態を体験することができました。

 

 

323日老人ホーム音楽療法とコンサート

 

老人ホームでの演奏

その後、養寿園老人ホーム慰問セッションで30分のシタール演奏を車椅子にのったままホームの方が聴くというかたちの音楽療法と、30分のミニコンサートが行われました。Raga Madhuwanti in teentaal 。「桜」「上を向いて歩こう」。リクエストに答え「朧月夜」。4拍子をチャンドラカントさんが打って「皆さんご一緒に」とおっしゃると、みなさんでティンタールを手拍子でうちました。とても正確にリズムをきざんで、楽しげに手拍子をうっていらっしゃいました。又、タブラにあわせて、何人かの方がひざの上でも拍子を取っていらっしゃるのが印象的でした。

 

324日 アジアン・ナイト・チャリティー・コンサート

 

おじか国際音楽祭メインコンサート

アジアン・ナイト・チャリティー・コンサートはインド音楽に親しんでもらおうとともに、収益金はインドのストリート・チルドレンに寄付されます。演奏に先立ち、ラーガとターラの説明が詳しくされました。
 1曲目は「Raga Mishra Siuranjiani in teentaal」。2曲目は「Raga Nihon Indo in Rupak Taal」。
 終演後、ロビーでは長崎おぢか国際音楽祭に出演のためにいらしたヨーロッパの演奏家や地元の方、このコンサートのために駆けつけた福岡の方などと楽しい談笑が続きました。チャンドラカントさんが泊まっている旅館では、西洋の音楽家との音合わせがあったり、まさにこの地で、日本、インド、ヨーロッパの伝統文化があいまみえようとした感がありました。

 

 

神社目前に朝日が上る景色

325日 瞑想コンサート

拝殿内での演奏

 朝7時早朝より7世紀の書物に記載されている神島神社の拝殿での瞑想コンサートが行われました。30名くらいの方が早朝にもかかわらず集まり、シタールの演奏を瞑想しやすい体勢で聴くというものでした。荘厳なシタール演奏が奏でられ、まさにピッタリのところで行われました。音楽療法といい、瞑想コンサートといい本当によくインド音楽というものをお分かりなった方が、コーディネイトしてくださったおかげです。

 

325日保育園訪問コンサート

今度は場所を保育園に移し、小さいお子さんにコンサートを楽しんでもらいました。タブラにあわせて、ひざをたたく子や、実際にタブラに触って、タブラをうってみたり、シタールを触ってみたりと楽しいひと時を過ごすことができました。

 

 

 

ウエルカムパーティー

その夜はミュージシャンを招待してのウエルカムパーティーがありました。チャンドラカントさんの奥さんのプージャさんの手づくりのカレーや、地元の奥様方の心づくしの手料理に会場は大盛況でした。その時、お一人の方が「瞑想コンサートのあと、今日1日心静かに仕事ができました」と、おっしゃってくださいました。

 

 

 

船上でのお別れ

次の日の朝、テープを用意して、港まで皆様がお見送りに来てくださいました。予想もしていなかったので、感激もひとしおで、テープが切れるまでお見送りをしていただきました。メンバー全員、もちろん更に、おじかのファンになったのは言うまでもありません。

おぢかは風光明媚な人口3千人程の穏やかな島で、この国際音楽祭も今回7回目ということです。ここの島に国際交流が続けられるのも、小値賀の歴史と無縁とは思えないのです。五島列島で北から 宇久島・小値賀島・五島中通島・五島福江島となっていますが、小値賀島だけが平戸松浦藩です。

その歴史は古く、歴史博物館には縄文前期、中期、後期の土器のかけらややじり、弥生の須恵器、有力豪族の存在を示す古墳の写真、遣唐使船時代から列強が争って各大陸に出て行った大航海時代の陶器の破片などが陳列されていました。南から黒潮と呼ばれる日本海流が、北からはりマン海流が流れ込む五島列島に位置する小値賀(おぢか)は、古の時代からその潮の流れにのって南に向う航路にあたっていたそうです。この島を通って中国やタイなどの南の国との交流が行われていました。小値賀のすぐ東に位置する平戸が江戸時代、オランダとの交易が許されていたのも、古くからその海外交流の歴史と無縁ではないと思われます。小値賀国際音楽祭の実行委員長の増元さん、事務局長の立石さんや、島の方皆さんがボランティアでこの国際音楽祭を毎年行っていらっしゃいます。突然ではない、古くからあるなにかDNAのようなものが島の人に根付いていて、国際文化交流が行われているように感じます。この音楽祭の後も、オーストラリアやアメリカからホームスティを受け入れているそうです。みなさん、この島から帰られるとホームシックにかかってしまうほど、この島の自然や心やさしい元気な人たちに馴染んでしまうそうです。この島を通ってかって遣唐使が行き来をして、大陸の文化がもたらされ、日本古来の文化と融合して、日本文化を作り上げてきました。まさにこれから世界の音楽がこの地で溶け合い、ひとつになり、文化が人を導いてくれますよう、世界が一つに溶け合いますようにと、願わずにはいられませんでした。

福岡のボランティアの皆様、小値賀の皆様、すばらしい企画、心温まるおもてなしに感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 

両腕はそれぞれ90度に曲がっている

シタールを弾くことに慣れない人にとって、シタールを持つ姿勢をとり続けると足や背中が痛くなる。Dr.チャンドラカントのシタール・レッスンでは、最初の回はシタールを弾く姿勢でただ座っている。この姿勢をある程度の時間続け慣れてきて、どこも痛くなくなった時に、始めてシタールを持つことが許される。

それほどまでに彼が姿勢の大切さを教えたのは、正しい姿勢ができて始めて、自由に正確に弦をはじけるようになり、なおかつ、スピードのある演奏が可能になるからである。

彼の特徴はスピードにあり、超高速で演奏をすることができた。常に背骨をまっすぐにし、シタールを45度に傾斜させ、フレットを抑える左手はフレットに対して90度、弦を弾く右手も同じく90度の位置で演奏する。シタールという楽器は、フレットの位置が奏者からは見えないのである。姿勢が崩れると、当然フレットを押さえる位置がずれてしまう。

その上、この姿勢で演奏するには、筋肉が必要とされる。フレットを押さえ込むため、彼の弦を押さえる左のひじから指までの腕は通常の人より内側に回りこんでいた。4歳の頃からシタールを弾き始めたので、この部分の筋肉が成長と共に非常に強くなっていった。また、フレットを深く押さえることができるように、彼の左手はボール(英語で小さなお椀)の手と称されるほど、彼の左の手の甲は深く丸めることができ、あたかも手の甲に小さなお椀を乗せているかのような形になっていった。

インドでは、コンサートでは何時間も演奏することがあるそうで、彼は何時間も続けてシタールを演奏したことがあった。もちろん演奏の間、姿勢を崩すことなく、引き続けた。こんなことができるのも、強靭な筋肉があったればこそで、幼い頃よりシタールを弾くことで自然とシタールを弾くのに適した筋肉がついていったのであった。

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