パンディジはいつも人を笑わせていて、彼の周りはいつも楽しい雰囲気が漂っていた。私が、会社の研修の一環で笑顔訓練があったことをパンディジやダルシャナムのメンバーに話したことがあった。その訓練は、口に割り箸を水平にはさむ。そして、「ウイスキー」と声を出して言ってみる。始めのうちは、割り箸より口角が下がってしまうので、口角を上がるまで何度も練習をする。口角を上げることによって笑っている顔が強調される。口角が下がっていたら笑顔になっていないのである。そこで、メンバー全員で割り箸を口に挟み、「ウイスキー」と言って笑顔の練習をした。

 

その時は、パンディジは「フムフム」と言った感じで笑いながら見ていた。普通の人ならこれで終わりである。ところがパンディジは次の日、私が彼の家に行くと、私の顔を見るやいなや、前日の私の笑顔訓練の顔を真似した。あまりのおもしろさに笑い出してしまった。なんと、これが、毎日続いた。普通の人はだんだん面白くなくなり、あー、またやっている、もう、面白くないからやめたら、と思うのだが、パンディジのこの作り笑顔は、面白さをぐんぐん増し、だんだんと芸のようにまでなっていった。

 

5月のゴールデンウィークにこの笑顔訓練を受けたのだから、7月にオーストラリアへ旅発つまで、ほとんど毎日2,3ヶ月は私が家へ行くと笑顔を作って私を笑わせた。ダルシャナムの代表のプージャさんと仕事の打ち合わせをしている時にも、同じように笑顔を作るので、私は笑いが止められず、仕事の打ち合わせができなくってしまうことがよくあった。もうさすがに今日はやらないだろうと思った瞬間、まるで私の心がわかったかのように、その瞬間に笑顔を真似するのだった。

 

オーストラリアへ旅発つ前の日に、顔面芸を見たのが今生の別れとなってしまった。私に強烈な残像を残して、旅発って逝った。そういえば、私とパンディジとプージャさんと始めて3人で、パンディジの家で食事をした時も、私を思いっきり笑わせたので、お腹が痛くなってしまった。普通の「あはは」などという面白さではなく、お腹を抱えて笑って、しまいにはお腹が痛くなってしまうのである。パンディジとの出会った日も、思いっきり笑い、最後となってしまった日も、また、笑い、これほどまでに、私を笑わせてくれた人は外にいない。

 

私が音楽療法の企画を始めた頃、どのように企画をしたら良いのか、パンディジに一から詳しく聞いていた。ある時、ある方が、音楽療法を企画してくださったことがあった。それまで、パンディジの自宅で音楽療法を行ってきたのだが、始めて自宅以外の場所で音楽療法を行うことになった。

その時、パンディジが言ったことは、「音楽療法が始まる1時間前にその場所に着いていたい。途中の車が混んだり、何か事故で時間通りに着けないと、あせってしまうので、早く着いていたい。」

また、ダルシャナム代表でパンディジの奥様のプージャさんは、「タクシーに乗って、ドライバーの人が道を知らない場合も過去にあったので、必ず行く前に道を調べてから行くことにしている」と言うので、行く前に地図を調べ、自分で道順を書いた地図を作って持って行った。シタールを持って移動するのに、タクシーを利用することが多かった。これ以降、サラデシュムク家の人と行動する時は、必ず地図を作ることになった。後には、グーグルの地図より、私が書いた地図のほうがわかりやすいとまで言われ、地図制作は私の担当になってしまった。インド人はよく時間にルーズと言われているが、サラデシュムク家の人はそのようなことはなかった。

そして、行く先で外食をする場合は、近くのレストランを予め調べた。行った先でレストランを歩いて、探したりすることはしないようにとも言われ、地図を作り、レストランも調べてから出かけた。タクシーに乗っても、途中で迷うようなこともなく、また、食事をするため、レストランを探して、歩き回ることも一切なかった。

また、用事のついでに、どこかに行って、別の用事を済ませてはいけないとも言われた。一つのことに集中するためである。色々な用事を一度に済まそうとすると、時間が間に合わなくなって、あせったり、また、ミスをしたりすることがあるので、そのようなことがないようにするためである。

これらは全て、パンディジのお父様のサラデシュムク・マハラジから教えられたものであった。マハラジは大変優雅な方だったと言われている。優雅に見えるその裏には、周到な準備があってこそ、優雅に行動ができるのではないだろうか。

 

 

インドでは、お祭りが頻繁に行われる。多神教なので、それぞれの神様にちなんだ日に、神に音楽、踊りや食べ物を捧げる。日本でもインド人は地域の人々が集まり、神に音楽や食べ物を捧げ、お祈りをしている。そのようなお祭り、つまり、神に祈りを捧げる日に、パンディジはシタール演奏を依頼されることがしばしばだった。2001年にもパンディジは自宅近くの集会所で開かれたお祭りでシタールを演奏したことがあった。シタール演奏後、私に「演奏はどうだった」と毎回、必ず感想を尋ねた。私はいつもできる限り自分が感じたことを正直に話した。この近所の集会場で開かれたお祭りのシタール演奏について私に尋ねたので、それは、3部構成になっていて、その内容はまず、地上の人間が楽しそうに暮らしている。次は天上界と地上の中間の世界。そして、最後は神々の世界を演奏したように感じたと話したら、「そうだ。その通りだ」とパンディジは答えた。

その演奏は1時間ぴったりで終わった。途中で休憩もなく、曲のムードが途中で2回変った。しかも、パンディジは時計を見ていたわけではないのに、20分ごとに変り、全体で3部構成になっていた。始めの曲は私達が地球上で生きて、幸せに満ちて暮らしている。喜びに溢れ生き生きとしている幸福感や躍動感が伝わってきた。次にムードが変り、厳かな感じで、でもどこにも足がついていないで漂っている感じの曲に変った。チベット仏教でいうバルド(中有)の世界。地上と天上界の間、死者が天上に行くまでいる世界。このムードがやはり20分続いた頃、また、ムードが変った。さらに荘厳、厳粛、幸福、平安の世界で、神々が住む世界のように感じた。その厳かさは言葉では言い表せない。音楽のみが伝えることができると思った。この3つの世界を感受し、演奏する。あまりの感動でなんとも言えない世界にパンディジは私達を引き込んだ。私は、その時までは、音楽療法でシタール演奏を聴いていが、コンサートのようなシタール演奏を聴くのは始めてだった。あまりのショックで言葉もでなかった。私は言いたかった。「見たことがあるのですか。行ったことがあるのですか。天上界やその中間の世界に」行ったこともない世界をまるで見てきたように演奏する、芸術家が持つイマジネーションの豊かさに圧倒された。

ミケランジェロのピエタ像

その時まで、私はアーティスティックなことを仕事にしたいなどという思いを抱いていたのだが、パンディジの演奏の前に完敗したように感じた。以前、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でミケランジェロのピエタ像を見た時、涙がこみ上げてきたことがあった。きっと多くの人があそこで涙したことだろう。心無い人に指を折られ、近年は囲いの中に、ピエタは納まっている。この時、遥か遠いローマでピエタ像の指を折った人の気持が急に理解できたように感じた。ピエタ像の前に自分のわずかばかりしかない才能をまざまざと感じさせられた、天性の才能に対して、こみ上げる想い。芸術家の才能にたいしてのジェラシーから、そのようなことをしたのかもしれないと思った。パンディジは、以前、どのくらいの人からこのような感情を向けられたのだろう   か。普通の人が経験しないパンディジの世界を垣間見たように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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